NIKEのバスケットボールシューズの進化の歴史を辿る【その2 ~1990年代後半からSHOX BB4まで~】
画像引用元:news.nike.com
こんにちは。壮年留学生です。
前回のブログから執筆を開始したこのシリーズ。今回は1990年代後半~2000年に発売された革新的バスケットボールシューズについて書かせていただきます。今回も米ナイキの公式ニュースサイト、NIKE NEWSの記事を日本語にかみ砕いて解説していきます。
前回の記事はこちらからどうぞ。
ブルズ王朝の終焉と新時代のスタープレーヤーの登場
1990年後半のNBAといえばマイケルジョーダンの2度目のスリーピート、および2度目の引退がまずは思い出されます。そして彼の引退後の98-99シーズン以降は、新たなスター選手たちが姿を現しました。
そんなジョーダンの後期スリーピートと新時代の幕開けを彩ったバスケットボールシューズについて解説していきます。
AIR SWOOPES (1996)
【エア スウープスの主な特徴】
- WNBAのスーパースター、シェリルスウープスのために開発されたナイキ初の女性向けシグネイチャーバスケットボールシューズ
- デュラバックを使い、軽量化を図ったアッパーと前後のエアクッショニング
- 男たちが大きいサイズを求めて街中を探し回った
ナイキ初の女性プレイヤー向けシグネイチャーシューズの誕生
さて、最初にご紹介するのはエア スウープスです。名前を聞いたり画像を見てもピンとくる人が少ないだろうと思われるこのモデル。WNBAプレーヤーとして活躍したシェリルスウープスのシグネイチャーモデルとして開発された女性向けバスケットボールシューズなんです。
彼女のキャリアを簡単にまとめてみました。
大学での最終プレー年である1993年にはNCAAチャンピオンシップ制覇。一試合歴代最多得点記録、シーズン最多得点記録、チャンピオンシップゲームにおける最多フィールドゴール等、数々のNCAA記録を樹立。
1997年のWNBA最初のシーズンにプロプレーヤーとしてのキャリアをスタートし、2011年までプレー。その間、リーグ制覇4回(4連覇)、オールスター選出6回、シーズンMVP3回等々、リーグを代表するスーパースターとして活躍しました。
また、オリンピック代表として3つの金メダルも獲得し、2016年にはプレーヤーとしてバスケットボール界の殿堂入りを果たしています。
大学時代から規格外の活躍を見せてきた彼女に向けて開発されたのがこのエアスウープスで、エアジョーダンの如くプロデビューとほぼ同時期に市場に投入されました。
2020年現在でも女性向けシグネイチャーモデルは滅多に発売されませんが、当時は更に珍しいことだったように思われます。
女性プレーヤーは男性向けに設計されたシューズの小さいサイズや、その廉価版を着用せざるを得ませんでした。一方、エアスウープスはデザイナーとスウープス本人の密な意見交換と女性の足形をベースにデザインされた正真正銘の女性に向けたバスケットボールシューズでした。
男たちが大きいサイズを求めて店に殺到
シューズ発表の翌年、WNBA初のシーズンが開幕すると女性はもちろんのこと、男性までもがこのシューズの大きいサイズを求めて店頭に殺到したそうな。
これまで女性がシューズ選びの際に行ってきたことが、エアスウープスの登場によって逆転したわけです。
AIR MORE UPTEMPO (1996)
【エアモアアップテンポの主な特徴】
- ヒールからつま先までをビジブルエアでカバーし、豊かなクッション性を確保
- ナイキ史上屈指のアイコニックなデザイン
- スコッティピッペンの準シグネイチャーシューズ的位置付け
ナイキ史上最もアイコニックなデザインのひとつ
先ほどのエアスウープスと対照的に、当時を知らない世代を含めた多くの人からそのデザインが認知されているエアモアアップテンポ、通称モアテンです。
デザイン時のミッションは「如何にして世界に発信するか」。発売年開催のアトランタ五輪を見据えたと思われれるコンセプトですね。
何と言っても巨大な「AIR」の文字がそのままシューズの意匠になっているのが最大の特徴。デザインを担当したウィルソンスミス曰く、このシューズは巨大なポップアートやグラフィティから影響を受けているとのこと。
また、当時はバギージーンズやでかい車など、とにかく大きいものがクールな時代でした。そんな当時の流行の延長線上にモアアップテンポは存在しています。
パフォーマンス面ではクッション性能と靴と足との一体感にフォーカスしています。アップテンポ(詳細は前回の記事参照)のその名が示す通り、オールラウンドプレーヤーに向けた仕様。
オリンピックの舞台で「AIR」を世界に発信
1996年のアトランタ五輪からマイケルジョーダンの相方、スコッティピッペンに着用され、続くNBAのシーズンでも同選手に着用されました。
その為、モアテンと言えばスコッティピッペンという方も多いはずです。
同五輪大会中はピッペンの他にもチャールズバークレーがモアテンを着用。また、アッパーのデザインはモアテンを踏襲しつつ、前足部のエアを省略して軽量化が図られたマッチアップテンポをゲイリーペイトンやレジーミラーが着用しました。
彼らはオリンピックの舞台で圧倒的な強さで優勝し、その際に着用していたシューズによってその唯一無二なデザインと「AIR」という言葉そのものが世界中に認知されることになりました。
AIR FOAMPOSITE ONE (1997)
【エアフォームポジットワンの主な特徴】
- ミッドソールとアッパーを一体化したフォームポジットテクノロジーを搭載した初めてのバスケットボールシューズ
- クッショニングはフルレングスズームエア+ヒールズームエアのダブルスタック構造
- ペニーハーダウェイのシグネイチャーシューズのように語られるがそういうつもりでデザインされたわけではなかった
始まりはサングラスのケース
続いては過去にシュプリームとのコラボレーションのベースモデルにもなり、一時期はストリートでも非常に人気のあったエアフォームポジットワンについてです。
開発を担当したのはエアペニーやコービーシリーズのデザイナーであるエリックエイバーが率いたA.P.E. (Advanced Product Engineering / アドバンスドプロダクトエンジニアリング)と呼ばれるチームです。
同チームは「如何にして既存の方法以外で革新的なシューズを創れるか」に力を注いでいました。
フォームポジットテクノロジーはミッドソールに使用されるポリウレタン素材をアッパーまで延長し、足裏から足全体を包み込むようにシューズを成形する技術を指します。
この技術によってこれまでアッパーに縫い重ねられた皮革やメッシュは省略され、より足との一体感を高めることに成功しています。
この革新的な工法のアイデアは、会議の際に目に入ったサングラスのケースによって生まれたそうです。コシのあるスポンジを使って縫い目なく立体成形されたケースは、サングラスにぴったりとフィットし、外部の衝撃から本体を守ります。
なるほど、「ケースとサングラス」を「スニーカーと足」に置き換えるとフォームポジットのコンセプトが理解できますね。
目ざといペニーハーダウェイ
とは言ったものの、フォームポジットテクノロジーは前例にないものを創ることが先行して誕生した、言わば実験的なプロダクトでした。そのため、当時は開発チームですらこの技術の効果的な使い方を定められずにいたそうです。
ある日、エリックエイバーは次回作のエアペニー3についてペニーと打ち合わせを行っていました。
一通りエアペニー3のアイデアについて協議し終わった後、ペニーが鞄の中から覗いているフォームポジットの初期サンプルを覗き込んで「それはなに?」とエイバーに尋ねました。
エイバーとしては鞄の中身を見せるかどうか迷っていましたが、そう聞かれちゃ見せざるを得ないということでそのサンプルを取り出し、ペニーに手渡したそうです。
ペニー「次のシューズはこれでいこう!」
斯くしてフォームポジットワンが日の目を見ることになったわけです。
AIR FLIGHTPOSITE (1999)
【エアフライトポジットの主な特徴】
- 薄く、軽くなったフォームポジットテクノロジー搭載バッシュ
- 前後分割ズームエアを埋め込んだドロップインミッドソール
- 生体力学からインスパイアされたシューズと足の境界を無くすようなシューズデザイン
シューズは体の延長であるべき
フォームポジットワン登場から二年、より薄く、軽くなった進化系フォームポジットテクノロジーを搭載したシューズ、エアフライトポジットが発表されました。
「まるでシューズを履いてないような…」や、「素足感覚の…」といったシューズ着用レビューを目にすることがありますが、このフライトポジットは着用感だけでなく、デザインにもその考えを落とし込んでいます。
スニーカーは無機質な「物」で、人体のように有機的ではありません。着用したとしてもシューズと人体の間には明確な境界があります。それに対し、エアフライトポジットではシューズを人体と同じ有機的な存在と捉え、その境界を無くすというコンセプトでデザインされました。
足の筋肉のようなしなやかな形状と、スニーカーであることを想起させる靴紐を覆い隠すジッパーつきのシュラウドからそのコンセプトが伺えます。
デザイナーはフォームポジットワンに続き、エリックエイバーです。素晴らしい活躍。
仮にエアジョーダン15のデザインを最後にティンカーハットフィールドの時代が終了したと言えるのならば、エイバーはそのバトンを受け継いだデザイナーの一人と言えるのではないでしょうか。
NBA選手を含む多くのプレーヤーを魅了
多くの方にとって、エアフライトポジットの着用選手として真っ先に思い浮かぶのがケビンガーネットかと思います。
本人がシドニー五輪で着用したエアフライトポジット2については当時は本人のイニシャルを取ってフライトポジットKGと呼ばれていました。しかし、爆発的な勢いでシェアを拡大していたAND1への移籍により、以降は「KG」の代わりに「2」と呼ばれています。
KG以外にもアランヒューストン、ティムダンカン、ジェイソンキッドなど、ポジション問わず多くのスタープレーヤーに着用されました。
また、エアフライトポジットはプロ選手以外にも多くのファンがおり、これまでに複数回復刻されています。
私もその一人で、スニーカーにどっぷりとはまるきっかけとなったのが同モデルです。パソコン越しではありましたが、エアフライトポジットを初めて見たときの衝撃は今でも忘れられません。
当時、部活のメンバー数名とバッシュの話をしていたときに「フライトポジット」と言ってもわからないだろうから「ジッパーのついたバッシュがかっこいい」と説明したらそんなバッシュかっこいいはずがないとバカにされたんですよね。
その数か月後に、そのうちの一人が真新しいフライトポジットを履いているのを見たときはとても悔しい気持ちになったのをよく覚えています。笑
SHOX BB4 (2000)
【ショックスBB4の主な特徴】
- 着想から誕生まで20年をかけたショックステクノロジーをヒールに搭載した初のバスケットボールシューズ
- 前足部はズームエア搭載
- シドニー五輪にてこのシューズを履いたビンスカーターが213㎝以上のディフェンスを飛び越えて強烈なダンクを決めたことはあまりにも有名
20年の時を経て誕生したショックステクノロジー
今回最後に紹介するのは2000年に発売されたショックスBB4です。ビジブルエアの誕生から続く機能性の可視化をこれでもかと体現したインパクトのあるビジュアルが印象的です。
ショックスのコンセプト自体はシューズを発表する20年前からナイキ社内に存在しており、それに興味を持ったエリックエイバー率いるデザインチームが引継ぎ、ショックスBB4のデザインを完成させました。
意匠の背景にあるのは宇宙の世界観で、コラムとプレートから成るショックステクノロジーをロケットとその加速装置に見立てています。
アッパーは実在する宇宙服からインスパイアされたとのこと。
また、エイバーはすべてのシューズは象徴的な特徴を1~2個のみ有しているとし、それ以上になるとデザインがぼやけるという美学をもっていました。
その美学に基づき、ショックスBB4のフォーカスされるべき要素、つまりソールを目立たせるためにアッパーデザインはシンプルに仕上げたそうです。
アッパーにスウッシュがデザインされていないのはその為なのかもしれません。
ビンスカーターを起用した見事なまでのマーケティング
ナイキはショックスBB4のプロモーションに当時トロントラプターズに所属していたビンスカーターを起用しました。
彼は2000年のNBAオールスターのダンクコンテストにて圧倒的なパフォーマンスで優勝し、後に歴代最高のスラムダンカーと呼ばれるほどの選手でした。
当時のビンスはシューズの契約ブランドを転々としており、同コンテスト優勝時はAND1のシューズを着用していました。ちなみに当時はプーマとの契約期間中だったという噂もあります。
色々ありながらもその後はナイキとの契約を済ませ、彼は2000年夏のシドニー五輪をショックスBB4と共に戦うことになりました。
そして迎えた決勝戦で身長213㎝超のフランスの選手を飛び越え、強烈なダンクを叩き込みます。(下記画像)
このあまりにも有名なダンクは世界中にショックステクノロジーを認知させるのに十分すぎるインパクトをもっていました。同年10月からのNBAのシーズンでも同シューズを着用してチームを牽引し、本人を使ったプロモーション映像(下記)も投下されました。
翌2001-2002シーズンには前足部にもショックスを搭載したシグネイチャーシューズ、ショックスVCが発表されています。
その後も4シーズンに渡ってビンスのシグネイチャーモデルが発売されており、そのすべてにショックステクノロジーが搭載されていました。
ショックスのプロモーションにこれほどまでにマッチした選手が他にいたでしょうか。ナイキのマーケティングの手腕には脱帽せざるを得ません。
仮に別の選手を起用していていたらナイキにおけるショックステクノロジーの立ち位置は大きく異なっていたのではないでしょうか。それほどまでにショックスとビンスカーターは切っても切れない関係だと思います。
ビンスカーターのキャリアと2019年復刻のショックスBB4についてまとめた記事を書いていますので、よろしければ下記よりご覧になってみてください。
まとめ 以前までのスニーカーの常識をぶち壊す発想とテクノロジーの誕生
90年代後半はそれ以前と比べて革新的なテクノロジーを搭載したバッシュが多く誕生し、そのコンセプトやプロモーションがより高度なものになっているような印象を受けました。
前回のブログ記事で解説を行った90年代前半はクッション性、軽量性、耐久性といったバッシュのベーシックな機能に対するアプローチが中心でした。一方、今回は女性向け、ブランドの発信、新しい工法、のようなそのシューズにまつわるコンセプトやプロモーションの追求が行われていたような気がします。
今回から学生時代に実際に見たり履いてプレーしたシューズが登場してきました。当時の思い出とリンクしたスニーカーということで、前回よりも筆が進みました。
ということで今回はこのあたりで終わらせていただきます。次回は2001年~2006年までのナイキのバスケットボールシューズを解説していきます (公開済み) 。
最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。
-
前の記事
NIKEのバスケットボールシューズの進化の歴史を辿る【その1~1990年代前半編~】 2020.05.03
-
次の記事
NIKEのバスケットボールシューズの進化の歴史を辿る【その3 ~2001年から2006年~】 2020.05.08