ありがとうビンス・カーター ~SHOX BB4と共に彼の軌跡を辿る~

ありがとうビンス・カーター ~SHOX BB4と共に彼の軌跡を辿る~

画像引用元:nicekicks.com

こんにちは。壮年留学生です。

さて、今回はNBAで22シーズンをプレーし、19-20シーズンを以て引退となったビンス・カーターと、彼の準シグネイチャーモデル的な位置づけであったSHOX BB4 (ショックス BB4) について解説していこうと思います。

先日入手した2019年復刻のショックス BB4の詳細画像と共にお送りしていこうと思います。(あまり売れていないらしく、お得な価格で購入できました)

ビンス・カーターとショックスBB4の関連記事については下記からどうぞ。

ビンス・カーターの残した軌跡を辿る

19-20シーズン再開

去る7月30日 (現地時間) についにNBAの19-20シーズンが再開しました。試合会場はオーランドのディズニーワールド内にある特設会場となり、シーズン中断以前にプレーオフ進出の可能性を残した22チームのみで行われます

ここからプレーオフ進出チームを東西各8チームずつ決め、遅くとも10月13日までには今シーズンのチャンピオンが決定するようです。

シーズン再開後の全ての試合をディズニーワールド内で行い、また、選手やチーム関係者は期間中ずっと同施設内で過ごすことが義務付けられるということで、コロナ対策にも抜かりはありません

メジャーリーグではシーズン開始後ほどなくして選手の感染が発覚し、既にいくつかの試合が延期となってしまっています。それを考えるとNBAの運営の判断には脱帽せざるを得ませんね。

残念ながら前述の22チームに入ることができなかったチームは早めのシーズンオフを迎えています。

その中にはビンス・カーターが今シーズンまで過ごしたアトランタ ホークスも含まれています。

本来ならば彼の偉業を称えた盛大な引退セレモニー等があってもおかしくなかったのですが、コロナ禍ではそのようなことも行えるはずもなく、90年代、00年代、10年代、20年代と、四つの時代でプレーした唯一の選手はひっそりと引退することになりました。

こちらは彼の軌跡を称えたショートムービーです。素敵な内容です。アーロン・ゴードンやザック・ラヴィーンを始めとした若手ダンカーからの彼に対するリスペクトが印象的です。

奇しくもシーズンが短縮された98-99シーズンに入団

ビンス・カーターはマイケルジョーダンの母校として知られているノースカロライナ大学ターヒールズで3年間プレーした後、1998年のNBAドラフトにて全体5位指名を受け、NBAでのキャリアをスタートします。

彼を指名したチームは現在ステフィン・カリーが所属しているゴールデンステート・ウォリアーズでしたが、指名をを受けた直後のトレードで全体4位指名の、同じくノースカロライナ大学出身のアントワン・ジャミソンとのトレードでトロント・ラプターズに入団しました。

この98-99シーズンはロックアウトと呼ばれる選手組合とチームオーナーとで給与の上下限を巡る労働争議が行われたため、通常のスケジュールで運営されなかったシーズンとして知られています。

その為、通常各チーム82試合行うはずの試合は50試合に短縮。シーズンは2月5日と、年が明けてからのスタートとなりました。

ラプターズのフランチャイズ初となるプレーオフ進出に貢献

1995年に新興チームとして誕生したトロントラプターズはその最初の3シーズンは試合に勝つことができず、下位グループの常連でした。

しかし、ビンス・カーターが入団した98-99シーズン以降、チームはめきめきと戦績を伸ばし、翌2000年には東カンファレンス6位の勝率でチーム初となるプレーオフ進出を達成します。

史上最高のダンク王の誕生

ビンス・カーターが優勝した2000年のスラムダンクコンテストは20年経った今でも伝説のダンクコンテストの一つとして知られています。

まだ見たことがないという方は是非下記動画でその様子をご覧ください。

最初の360ウィンドミルを見たシャックやKGの反応がたまりません笑

滞空時間の長さもさることながら、空中でのフォームの美しさや力強さもこれらのダンクの完成度の高さを更に高めているように思えます。

このダンクコンテストでの彼の活躍は、18年後の2018年の同コンテストの優勝者であるドノバン・ミッチェルのパフォーマンスにも影響を与えています。彼は最終ラウンドでビンス・カーターのユニフォームを着て360ウィンドミルを決め、同年のダンクチャンピオンになっています。カーターのオリジナル版に比べると迫力がかなり劣るように感じるのは私だけではないはず。

TAICHI MIDを着用し、宙を舞うビンス・カーター
画像引用元:nicekicks.com

ちなみにこの時にビンス・カーターが着用していたシューズはAND1 TAICHI MID(アンド1 タイチミッド)と呼ばれるモデルで、このダンクコンテストをきっかけにその人気を高めたのは言うまでもありません。 (当時でもバスケ部の間で驚くほど流行ったんだこれが)

シドニー五輪で炸裂した人越えダンク

彼を歴代最高のダンカーに推す声を不動のものにした出来事がもう一つあります。それが2000年の夏に行われたシドニーオリンピック決勝での人越えダンクです。

ダンクを決めた後、激励に来たKGを危うく殴りそうになっています。

比較的背が低いガードポジションのプレーヤーならまだわかるのですが、彼が飛び越えたのは2m18cmのフランスのセンタープレーヤーでした。The Dunk Of Death と呼ばれるこのダンクをきっかけに、彼の名前は世界に知られるようになります。

そして忘れてはいけないのがこの時にビンスが着用していたシューズ、ショックスBB4です。バネのようなコラムがヒールに配された、見るからに高く飛べそうなビジュアルに加え、着用者であるビンスの人越えダンクはこのシューズにとって最高のプロモーションになりました。

彼が試合で着用していたこの白/紺のカラーリングはオリンピックカラーと呼ばれています。
画像引用元:nicekicks.com

チームのスコアラーとしてのビンス・カーター

ラプターズでの3シーズン目にあたる00-01シーズンにおいて、ビンス・カーターは試合平均27.6得点というキャリアハイの数字を残しています。ダンクばかりが注目されがちな彼ですが、22年のキャリアの内、10シーズンで試合平均20得点以上を維持しているスコアラーでもありました。

このシーズン、チームはプレーオフ東カンファレンスセミファイナルまで進出します。この年、ファイナルに進出するアイバーソン率いるセブンティシクサーズを相手に第7戦までもつれ込んだ末、惜しくもカンファレンスファイナルを逃しています

このあたりの逸話がネットフリックスにて配信されていた「Carter Effect」でも語られていますのでまだご覧になられていない方には是非見ていただきたいところ。

怪我に悩まされたラプターズでのキャリア後半

翌01-02シーズン、カーターはラプターズと延長契約を結ぶものの、膝、およびハムストリングスの怪我によってシーズンのラスト22試合を棒に振る結果となりました。2002年のオールスターゲームのプレーヤーにも選出されていましたが、怪我が原因で出場を辞退。

カーターを欠いて迎えたプレーオフは、初戦でデトロイトに敗れる結果となっています。

迎えた翌02-03シーズン、カーターはオフシーズンの手術の影響で43試合のみの出場に止まりました。また、キャリア2年目以降継続してきたプレーオフ進出を逃してしまいます。

翌03-04シーズンは73試合でプレーをしたものの、プレーオフへの進出は叶いませんでした。

チーム首脳陣との軋轢

2004年のオフシーズン、ラプターズ首脳陣は昨シーズンまでの成績を受け、チームの全てのコーチングスタッフ、ゼネラルマネージャーを解雇します。そして当時の球団社長からは「今後数年のプレーオフ進出は諦める」といったチーム再建を感じさせる内容の発言がありました。

カーターは運営陣の一連の言動を受け、チームへの不信感を募らせていたようです。

ニュージャージーでの再スタート

04-05のシーズン途中、カーターは複数名の選手を含むトレードにより、ニュージャージーネッツへ移籍をしました。

新天地では同チームの2002ファイナル進出の立役者であるジェイソン・キッドとデュオを組み、キッドからのロブパスを受けたカーターがアリウープを決めるハイライトを量産しました。

ニュージャージーでの5シーズン、彼は試合平均20得点をキープし続け、チームの05、06、07と3シーズン連続のプレーオフ進出を支えました。

しかし、翌08年はプレーオフ進出を逃し、個人としても2000年から続いていたオールスターゲーム選出も07年を最後に逃しています。

キャリア後期

カーター32歳の09年オフ、オーランドマジックへの移籍が決定します。当時のマジックには当時イケイケだった若かりしころのドワイト・ハワードがおり、チームのリーディングスコアラーを務めていました。

同チームでプレーした2010年には、本人初となるカンファレンスファイナルを経験しています。20代を過ごしたラプターズ、ネッツではなくマジックでというのが意外ですね。またこのシーズン以降、試合平均得点が20得点を超えることはありませんでした。

翌10-11シーズン途中にはフェニックスサンズに移籍。その後もダラス、メンフィス、サクラメントと渡り歩き、18-19、19-20シーズンをアトランタ・ホークスで過ごし、実に22シーズンにも渡るキャリアを終了しました。

最年長記録づくし

40歳を迎えた以降のカーターは年齢に関する様々なリーグ記録を打ち立てています。

  • 史上最年長での1試合6本のスリーポイント成功 (2017 / 40歳)
  • 史上最年長でのスターティングメンバ―として試合出場 (2017 / 40歳46日)
  • 史上最年長でのプレーオフでの3本のスリーポイント成功 (2017 / 40歳)
  • 史上最年長での1試合45分以上出場 (2019 / 42歳)
  • 史上最年長での1試合20得点 (2019 / 42歳)

信じられない記録も中には含まれています。

競争の激しいNBAでは選手の平均リーグ在留期間は5年と言われています。それを1シーズンも途切れさせることなく22シーズン連続で現役で居続けたことに対しては脱帽せざるを得ません。

もし自分が40歳になったときに20代の若手と一緒に45分間もプレーできるかと問われたら、全く自信がありません。しかもただ出場するだけでなく、20得点以上を決めてチームに貢献してくるという・・・信じられませんね。

ショックス BB4 (2019復刻)の詳細を画像とともに見ていく

ビンス・カーターといえばSHOX BB4

ビンス・カーターと言えばSHOX VCと呼ばれるシグネイチャーシリーズが用意されていました。しかしながら、人越えダンクやらSHOX誕生当初のモデルということもあってか私にとっては「ショックス BB4 = ビンス・カーター」というイメージがあります。

ですので、キャリア晩年のアトランタ・ホークス時代にショックスBB4を履いて試合に出場するビンス・カーターの様子をインスタグラムで発見した時はとてもテンションが上がりました。

ほどなくして再発が噂され、2019年の夏に復刻発売されましたが、当時はアメリカと中華圏の一部での発売だったと記憶しています。

同年冬頃にカナダでも販売が開始。いつまで経ってもフルサイズ残っている様子をウェブ上にて確認していたため、セール価格になるのを待ち、2020年夏にようやくゲットしたという次第です。

SHOX BB4と言えばこの色

ここからは現物画像をと一緒にビンス・カーターのプレーを支えたショックス BB4の詳細を見ていこうと思います。

恐らくファーストカラーだと思うのですが、私にとってはショックスBB4と言えばやっぱりこれ。けっこう象徴的な色だと思います。そのせいかレブロン15にもこれを模したカラーリングが存在しています。
画像:筆者私物

これですね
画像引用元:hypebeast.com

ソールはヘリンボーンパターンとヒールにはピボットパターン。フロアで履いたことがないのでトラクション性能はわかりません。
画像:筆者私物

中足部にヒレみたいな出っ張りがあります
画像:筆者私物

わかりにくいですがインソールはこんなかんじ。オリジナルで使われていたショックスのコラムを模した4つの同心円のプリントではなくなっています。
画像:筆者私物

SHOX BB4のサイズ感について

つくりはけっこうタイトです。足形にもよるとは思いますが、私の場合、ペガサス37等、ほとんどのナイキのランニングシューズは27.5cmで履いていますが、ショックス BB4については28.0にして正解だったと思っています。

仮にハーフダウンして27.5cmにしたら脱ぎ履きが相当大変になり、バスケをするのは難しかったように思います。靴下も分厚くなりますし。

ちなみに内部の構造は足の甲からつま先までをソックスのような形状のインナーが包み込んでくれるハーフブーティー仕様です。

あくまで個人的な意見になり、足形によってもサイズの選び方は変わってくると思いますので、あくまで自己責任でサイズを選んでいただければと思います。

R4では柔らかさを感じられたコラムもBB4ではかなり固くチューンナップされています。そして非常に重いです。
画像:筆者私物

アッパーは全面合成皮革かと思われます。通気性はほぼ皆無。日本の夏には向きません。つま先にファイブドッツ。そこから伸びている5本の線が練習の度に剥がれてくるという中学時代の思い出。私ではなく友人が履いていました。
画像:筆者私物

まとめ 意外と地元民からは愛されていない・・・?

いかがでしたでしょうか。当初はショックスBB4だけで記事にしようと思っていたのですが、近頃 #ThankYouVince のハッシュタグが色々なところで宣伝されているのでビンス・カーターのキャリアについても触れてみました。

この記事を作成していることをトロント出身の友人であるSに話してみると、地元民のビンス・カーターに対するリアルな意見を聞かせてくれました。

S「正直俺と俺の周りはビンス・カーターのことは全然気にしてないし、引退したからって別に何も感じていないよ。ニュージャージーへの移籍でほとんどのトロントのファンはカーターのことは見限ったからね。特に歴代のラプターズの選手の中でもすごいという印象もないし。史上最高のラプターはラウリーであって、彼の方が圧倒的に愛されてるよ。」

まあごく一部の意見なのでこれが全てではないと思うのですが、カナダ国外のファンが思っているビンス・カーター像、というかネットフリックスのカーターエフェクトから漂う「ビンスのおかげ」感とのギャップがありすぎて笑ってしまいました。

これからも現地のリアルな意見を取り入れながら記事執筆に邁進していければなと思います。

最後までお読みいただいた皆様ありがとうございました。