コービーが現役時代に着用していたバッシュをまとめてみる(4) ~ナイキ エアズームハラチ編~
画像引用元:sneakernews.com
こんにちは。壮年留学生です。
NBAプレーオフ2020、東西それぞれでカンファレンスセミファイナルが始まり、盛り上がってまいりました。昨日行われたラプターズ VS セルティックスのゲーム3の劇的な結末の余韻に浸りつつ、ラプターズのユニフォーム着用して記事を書き進めていこうと思います。
前回の記事では、どのスニーカーブランドにも属さないフリーエージェンシー期間のコービーの着用シューズについて紹介してきました。
今回はその後、コービーがナイキとの契約初期のバッシュについて追いかけていきます。
前回の記事はこちらからどうぞ。
03-04シーズン:数多の名作を誕生させたナイキとのパートナーシップの始まり
アディダスとの契約解消の影響による1年間のスニーカーブランド無契約状態を経て迎えた2003年のオフ、コービーはナイキとの契約を締結させます。コービーほどのスタープレーヤーとの契約なので、当初よりシグネイチャーモデルの開発を前提とした契約内容だったと思われますが、契約後の最初の数シーズンは専用モデルは発表されず、PEカラーの着用に止まりました。
シーズン開始前に報道されたスキャンダルにより、コービーについてしまったネガティブなイメージがシグネイチャーモデルの発表を見送った原因ではないかと言われています。
Air Flight Huarache (エアフライトハラチ)
彼とナイキのキャリアはナイキ社史で初めてハラチシステムを採用したバスケットボールシューズ、エアフライトハラチと共に始まりました。以前の記事でも紹介させていただいた通り、オリジナル版の発売は1992年と当時からしても10年以上も前のモデルということになります。しかし、レイカーズのカラーリングを纏った同シューズは、90年代初期のバッシュとは思えない非常に洗練された印象を与えてくれていました。
Zoom Flight 2K3 (ズームフライト2K3)
シーズン序盤の内、フライトハラチを着用しなかった数試合ではズームフライト2K3というシューズのPEカラーを履いてプレーをしていたコービー。
このモデルはジェイソン・キッド、トニー・パーカーを始めとしたガードプレーヤーを始め、2003年のサマーリーグ参戦時のレブロンの着用も確認されています。当時のトレンドを彷彿とさせるミッドソールをアッパーが覆うデザインと、足首までをカバーするハイカットのデザインが特徴的です。
Air Jordan 12 Retro (エアジョーダン12 レトロ)
フリーエージェンシーのシーズンに引き続き、エアジョーダンシリーズもローテーションの一部として着用していたコービー。03-04シーズンではシリーズ初のフルレングスズームエアを搭載したエアジョーダン12をいくつかの試合で履いていました。
いずれもPEカラーではなく、一般発売のあったカラーリングを着用しての登場でした。
Air Zoom Huarache 2K4 (エアズームハラチ2K4)
続いて登場するのはナイキバスケットボール史に残る傑作のひとつと称されるエアズームハラチ2K4です。このモデルの初登場は2004年2月の試合で、以降、同年のファイナルを含めたほとんどの試合でこのシューズを着用してプレーしていました。
デザインやスペックの詳細については以前の記事で紹介していますので、興味のあるかたはご覧になってみてください。
前述した通り、オールスターゲームに複数回選出された経歴のあるプレーヤー4人をスターティングメンバーに揃えたレイカーズは2004年の西カンファレンスを制覇し、NBAファイナルへと駒を進めます。ファイナルでの対戦相手は1990年以来の優勝を見据えるデトロイトピストンズでした。
レイカーズの圧倒的な攻撃力と、過去2シーズンに渡りディフェンシブプレーヤーオブザイヤーを獲得していたベン・ウォーレス(その後更に2回のDPOYを獲得)率いる歴代屈指のディフェンシブチームのピストンズの対戦は、前評判では経験と攻撃力に勝るレイカーズが優勢との声が多数を占めていました。
しかし、シリーズが始まると4-1でピストンズがレイカーズを下しています。中でもゲーム3においてはコービー、シャック、ペイトン、そしてマローンを有するレイカーズを僅か68得点に封じて勝利を収めています。スーパースターを有さないアンダードッグのリーグ制覇に多くのバスケットボールファンが歓喜したそうな。
04-05シーズン:シャックとの決別とチーム再建
04年のファイナル後のオフ、レイカーズはチームをファイナルまで導いたスーパースター軍団を解体します。以前よりコービーとの不仲が噂されていたシャックはラマー・オドム他2名とドラフト1巡目指名権とのトレードでマイアミ・ヒートへ移籍。ペイトンもまた、セルティックスへと移籍しました。当時既に40歳を迎えていたマローンも引退と、前年のスターティングメンバ―と決別します。
更に、前年までヘッドコーチを務めた名将、フィル・ジャクソンもチームを去ります。後年、本人が書いた著書によれば、当時のコービーは”un-coachable(コーチング不可)” だった、という言葉と共に当時のコービーを批判しました。
コービー自身も契約更新の年とありましたが、最終的にはレイカーズとの7年間の再契約を行い、チームへの残留を決めています。
迎えた04-05シーズン、予想通りチームは低迷。戦績を34勝48敗まで落とし、プレーオフ進出を逃しています。また、個人成績としては試合平均得点を27.6得点(リーグ2位)としたものの、チームを勝たせられなかったコービーはリーグからの評価を落とし、2000年から継続して選出されていたオールディフェンシブチームから落選。また、オールNBAチームもファーストチームからサードチームへと格下げとなりました。
Air Zoom Huarache 2K4 (エアズームハラチ2K4)
04-05シーズンの序盤は前年に引き続きハラチ2K4を着用していたコービー。
Air Zoom Huarache 2K5 (エアズームハラチ2K5)
2004年のクリスマスゲームにて、それまで着用していたエアズームハラチ2K4の後継モデルにあたるエアズームハラチ2K5をデビューさせます。
2K5では前作と同じく足首のストラップを継承しつつも、ソール形状はワイドでヒールに張り出した独特の形状を採用していました。高性能シューズとして引き続き多くのNBAプレーヤーに着用されていましたが、前作ハラチ2K4ほどのファンは獲得できず、2020年9月時点で復刻発売は確認できていません。
ナイキと契約後、2シーズンはシグネイチャーモデルが発表されることがなかったコービー。04-05シーズンにはチームは低迷し、本人としてもメディアによる批判が多く報じられた難しい時期となりました。
そして迎える05-06年、ついにナイキ契約後初のコービーのシグネイチャーモデルが発表されることになります。1試合の個人スコア、81得点に代表される脅威のスコアリング能力が発揮されるこのシーズン。
次回の記事ではそんなコービーのスコアリングチャンピオンへの軌跡を支えたシグネイチャーシリーズを振り返っていこうと思います。(公開済み)
*下記より次の記事へ進んでいただけます
最後までお読みいただいたみなさま、ありがとうございました。
[Bibliography]
Schlemmer, Z. (2016, March 24). Kobe Bryant’s 20 Year Sneaker Legacy – Part 3: The Early Nike Years. Retrieved from https://sneakernews.com/2016/03/24/kobe-bryants-20-year-sneaker-legacy-part-3-the-early-nike-years/
Kobe Bryant. (2020, August 15). Retrieved from https://en.wikipedia.org/wiki/Kobe_Bryant
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