コービーが現役時代に着用していたバッシュをまとめてみる(5)~ナイキ ズームコービー誕生編~
画像引用元:sneakernews.com
こんにちは。壮年留学生です。
コービーが現役時代に着用していたシューズを振り返る本企画。第5回目の記事となる今回は、現在まで続くナイキの人気シリーズ、ズームコービーシリーズの内、ズームコービー1~3にフォーカスしていきます。
ナイキのコービーシリーズと言えばローカットのシューズをイメージされる方が多いと思いますが、コービー4よりも前のモデルはすべてハイカットのみの展開となっていました。
シグネイチャーモデル発表以前のコービーが着用していたナイキのバッシュについては下記、前回の記事よりご確認いただければと思います。
05-06シーズン:ズームコービーシリーズの誕生
満を持して登場したナイキのコービーシグネイチャーモデル、ズームコービー1
ナイキとの契約後、2シーズンに渡ってシグネイチャーモデルが発売されなかったコービーでしたが、05-06シーズンのクリスマスゲームにてナイキ初のコービーシグネイチャーモデル、Zoom Kobe1 (ズームコービー1)が登場します。
爆発的なオフェンス力を見せつけ、キャリア初の得点王を獲得
このシーズン、03-04シーズンを最後にレイカーズの指揮から離れていたフィル・ジャクソンがヘッドコーチとして再度レイカーズに戻ってきます。前シーズンにプレーオフ進出を逃したチームを立て直すべく、名将の下、コービーは自らがリーグのトッププレーヤーであることを誇示するかのごとくその得点力を爆発させます。
12月20日のダラスマーベリックス戦では3クォーター(33分間)のプレーで62得点を記録。コービー一人が62得点を決める間にマーベリックスのチーム全体が獲得した得点は61得点と、相手チームにとっては屈辱的な試合となっています。ちなみにこの試合、4クォータースタート時点での得点は95対61と、レイカーズは大量リード。それもあってかコービーは最後のクォーターは一切プレーしませんでした。
また、ズームコービー1を着用した試合の内、伝説的な試合として語り継がれているのが2006年1月21日のラプターズとの対戦です。コービーはこの試合でキャリアハイの81得点を獲得。これは1962年にウィルト・チェンバレンが達成した1試合100得点に続く歴代第2位の記録で、2020年となった現在でもこの記録は破られていません。
その他にもレイカーズのフランチャイズ記録となるシーズン27回の1試合40+得点、同シーズン最多得点(2832点)を達成。ゲーム平均得点を35.4得点とし、キャリア初の得点王に輝きました。
プロトロのコンセプトを用いて復刻された初のシューズ
コービーラインの復刻時の名称は、エアジョーダンのようにRetro(レトロ)という名称ではなく、Protro (プロトロ)と呼ばれています。これは、Performance Retro(パフォーマンスレトロ)を略した造語で、コービー本人が望んだコンセプトである “当時のビジュアルに最新の機能性” を具現化した復刻ラインのことを指しています。
そのプロトロコンセプトの第一段として発表されたのがこのズームコービー1でした。オリジナル版とプロトロ版の主な変更点はクッションセットアップにあります。
見方によってはプロトロ化によってダウングレードされたような印象も受けますが、各種パフォーマンスレビューを見る限り、非常に高評価のバッシュのようです。
NBAにおいても、デマー・デローザン、デビン・ブッカー他、数名のプレーヤーによって着用されていました。直近ですとプレーオフ2020にてレイカーズのレイジョン・ロンドが着用して試合に出場していました。
06-07シーズン:ナイキフリーの技術を踏襲したシリーズ第二弾
背番号を8から24へ変更
続く06-07シーズン、コービーはそれまで着用してきた背番号8から新たに24をつけて試合に出場します。
24は高校生時代のコービーが最初につけた背番号で、レイカーズ入団当初もこの24を望んでいたんだとか。しかし当時24は他の選手が使用しており、また、高校卒業時の背番号、33はレイカーズのレジェンド、カリーム・アブドゥル・ジャバ―の永久欠番だったためこちらも使用できませんでした。
結果として、高校生時代のコービーが参加したAdidas ABCD campで着用した143の、それぞれの桁の数字を合計した数字である8をプロデビュー時のナンバーに選んだということです。
背番号変更以前もチーム内に24番がいないシーズンが何度かありましたし、なぜ06-07シーズンを変更年に選んだのかは調べきれませんでした。私の推測でしかないのですが、このシーズンは彼が入団から10年間のプロキャリアを経た直後のシーズンということで、本人にとって節目のような意味合いがあったのかもしれません。
プレースタイル別に3種類のバージョンが用意されたズームコービー2
前年同様、コービーはクリスマスゲームにて当時の新シグネイチャーモデル、ズームコービー2をデビューさせます。
ズームコービー2の機能面のマーケティングで特に注力されていたように思えるのはソールのフリーテクノロジーによって実現されたナチュラルモーション。前作ズームコービー1のフラットなアウトソールから一転、ナイキフリーを思わせる縦横に入った屈曲の為の溝が特徴です。
ナイキフリーについての詳細は以前書かせてもらった記事で確認していただければと思います。
さらにズームコービー2で特徴的なのは、Ultimate、Strength、Liteと呼ばれる3種類のバージョンが存在していた点です。
しかしながらコービー本人はほとんどの試合で標準モデルであるUltimateを着用していました。
06-07シーズンも前シーズンに引き続きその得点力を発揮したコービー。前年の81得点には劣るものの、キャリア2番目のハイスコアとなる1試合66得点や、ウィルト・チェンバレン以来となる4試合連続50得点越えを達成。シーズンの最終的な試合平均得点を31.6とし、2年連続のリーグ得点王となりました。
しかし、コービーの活躍によって西カンファレンス7位でプレーオフに進出したものの、1回戦でフェニックス・サンズに敗れています。
07-08シーズン:エリック・エイバーとの共作第一弾、ズームコービー3
気に入っていなかった(?)前作からデザイナーを変更
前作、ズームコービー2が気に入らなかったのか、シーズンの始まりを自身のシグネイチャーモデルではなく、4シーズン前に着用していたズームハラチ2K4で迎えたコービー。
そんな背景もあって誕生したズームコービー3は以前までのデザイナーではなく、次世代のティンカー(エアジョーダンシリーズを含む多くの名作を生みだしたナイキのデザイナー)と称す人もいるエリック・エイバーが担当。彼はコービーシリーズの他、エアペニーやフォームポジットワンの生みの親としても知られています。
ズームコービー3では前作のナチュラルモーションから一転、安定性やサポート性能と軽量性の両立にフォーカスしているそうです。
前作までとがらりと印象の変わった意匠はズームコービー4以降のどのモデルにも見られない、シリーズ中で唯一無二の存在感があります。
アッパーはメッシュ状の布の上にTPU製の網目状のパーツを貼り合わせたものになっています。このTPUパーツには適度な弾力があり、シューレースを結んだ際にそれぞれの人の足形に沿うようにフィットするという特徴がありました。また、大部分はメッシュ状のパーツが外側に露出しているので通気性の向上にも寄与していたのだとか。
クッショニングには前後分割のズームエアを搭載。アウトソールのつま先外型にはアウトリガーが設けられており、こちらも安定性の向上に一役買っているそうです。
キャリア初のシーズンMVP獲得、そしてシャック無しでの初のファイナル進出時のシューズであるということ。
プロトロ化が早々に実現されたズームコービー4のパフォーマンスシューズとしての評価が非常に高いこともあってか、バスケファン、スニーカーファンからのズームコービー3の人気と知名度は低いと言わざるを得ません。
その存在を思い出してもらうことすら難しいズームコービー3ですが、実は本人初のシーズンMVP、およびシャックとの3連覇達成時以来となるファイナル進出を支えたバッシュです。
シャックとの決別後、一時はプレーオフ進出すらできなかったレイカーズでしたが、コービーの磨きのかかった得点力と新たな相棒、パウ・ガソルを迎えたことで6シーズンぶりとなるNBAファイナルを迎えます。結果としては惜しくも第6戦で往年のライバルチームであるボストン・セルティックスに敗れてしまいます。しかし、「シャック無しでは勝てない」という評価を覆すかの如く、古豪チームの復活を成し遂げました。
同シーズンのスタッツはリバウンド6.3、アシスト5.4、得点28.3と、得点王こそ逃しましたが、レイカーズをウェスタンカンファレンス1位の戦績に導いたことが評価され、プロ12年目にして初のシーズンMVPを獲得を果たします。
更に3年連続、6度目のオールNBAチーム選出、そして8度目となるオールディフェンシブチームへの選出を達成 (いずれも1st team)。3度の優勝経験、そしてシーズンMVPを含めた各種アワードの受賞により、名実ともに歴代屈指のプレーヤーに数えられるようになりました。
実はハイパーダンクもシーズン中にお披露目されていた
コービーと言えば本人のシグネイチャーシリーズ以外にも、2008年に登場した革新的バスケットボールシューズ、初代ハイパーダンクの広告塔として同モデルを着用していました。私自身、ハイパーダンクのデビューは2008年の北京オリンピックと思っていたのですが、実は07-08のシーズン中に本人によって着用されていました。
シーズン中、コービーはいくつかの試合でハイパーダンクを着用した後、再度ズームコービー3に戻してプレーをしていました。フライワイヤーを採用したハイパーダンク、もといコービーシリーズの次作であるズームコービー4の登場が以降のバスケットボール市場に革命とも言える多大な影響を与えたことは皆様ご存知の通り。
次回の記事ではハイパーダンク、そしてコービー4を皮切りにスタートした超軽量ローカットバスケットボールシューズの隆盛について追いかけていこうと思います。 (公開済み)
*続きは下記リンクよりご覧ください
最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。
[Bibliography]
Schlemmer, Z. (2016, March 24). Kobe Bryant’s 20 Year Sneaker Legacy – Part 3: The Early Nike Years. Retrieved from https://sneakernews.com/2016/03/24/kobe-bryants-20-year-sneaker-legacy-part-3-the-early-nike-years/
Kobe Bryant. (2020, August 15). Retrieved from https://en.wikipedia.org/wiki/Kobe_Bryant
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