マイケルジョーダンがラストダンスにて着用していたスニーカーをまとめてみる。-その3-
- 2020.05.31
- スニーカー バスケ
- The Last Dance, マイケルジョーダン
画像:筆者私物
こんにちは。壮年留学生です。
ネットフリックスで配信中のドキュメンタリー、ラストダンスにてマイケルジョーダンが着用していたシューズについてまとめてきたこの企画。
最終回の今回は、最初のNBA引退から二回目のスリーピートまでに着用していたシューズについて解説させていただきます。
前回までの記事は下記からどうぞ。
AIR JORDAN IX
未来を担う選手に着用された1993年発表のエアジョーダン
エアジョーダン9(AJ9)は前期スリーピートを達成し、最初の引退を表明した1993年に発表された9代目エアジョーダンです。
最初のスリーピートを達成した92-93シーズンの終了後、ジョーダンはリーグの引退とベースボールへの挑戦を表明します。この決断にはオフシーズン中に本人に起こった悲劇が影響していると言われています。
コート上で主を失ったAJ9は次世代を担う選手によって着用され、リーグを彩りました。
ジョーダン本人の着用は映画、Space Jam(スペースジャム/1996)内のシーンが有名ですが、ラストダンスでもその着用が確認されています。
マイケルジョーダンの世界的な影響力を表現した一足
AJ9のデザインプランはオフシーズン中に行ったジョーダンのアジアツアーからインスパイアされたそうな。現地に赴いていたティンカーハットフィールドが見た景色がデザインに反映されています。
日本の風景から影響されたのか、アウトソールには日本語で「世界スポーツ」と大きく刻まれています。
それ以外にも、アウトソールの親指部分にはマイケルジョーダンのパーソナリティを表す言葉が様々な言語で刻まれています。
と、言いますのも、AJ9のデザインはマイケルジョーダンの世界に対する影響力を表現しています。アウトソールのデザインが左右で異なるのも特徴。
刻まれている言葉は下記の通りです。
【右足】
Intenso (イタリア語) – “熱心”
Liberté (フランス語) – “自由”
Anmutig (ドイツ語) – “優雅”
Fuerza (スペイン語) – “力”
Dédié (フランス語) – “ひたむきな”
【左足】
Uhuru (スワヒリ語) – “独立”
Cвобода (ロシア語) – “自由”
Cпорт (ロシア語) – “スポーツ”
Athletisch (ドイツ語) – “競技者”
Muundaji (スワヒリ語) – “希望”
また、AJ9のプロモーションは本人の引退をイジった楽しいものでした。
内容は、ジョーダン引退後のNBAにてJohnny Kilroy(ジョニーキルロイ)という架空の選手が大活躍し、実はジョーダンは引退しておらず、彼こそがマイケルジョーダン本人なのではないか?というものです。
AIR JORDAN X
シーズン途中に復帰したジョーダンが着用したエアジョーダン
ジョーダンがいない93-94シーズン、ブルズはプレーオフに進出するも、カンファレンスセミファイナルでニューヨークニックスに敗れていました。
迎えた94-95シーズン、マイケルジョーダンがベースボールのオフシーズン中にブルズの練習に合流していることが判明。以降彼の復帰が噂されるようになります。
劇中の様子から察するに、ファンだけでなく、ピッペンをはじめととしたブルズのプレーヤーもジョーダンの復帰を望んでいたように見えます。ジョーダンを欠いた3月中旬時点のチーム戦績は31勝31敗と、プレーオフ当落線上。スリーピート達成時と比較するとかなり苦戦していました。
迎えたシーズン終盤の1995年3月18日、ジョーダンが復帰を表明。その翌日のインディアナペイサーズ戦が復帰戦となりました。実に1年半ぶりのNBAの舞台でした。
その際に本人が着用していたのがエアジョーダン10(AJ10)です。
MJの栄誉を称える10作目
10作目のエアジョーダンではジョーダンが現役時に残した記録をアウトソールに刻んだ記念碑的一足です。
刻まれた内容は下記の通り。(踵→つま先)
- 85年 新人王
- 86年 63得点
- 87年 得点王
- 88年 ダンクコンテスト優勝
- 89年 オールディフェンスチーム選出
- 90年 69得点
- 91年 MVP / リーグ制覇
- 92年 MVP / リーグ制覇
- 93年 MVP / リーグ制覇
- 94年 その先へ
ジョーダン復帰後のブルズは明らかに調子を上げ、以降のシーズンを13勝4敗で大幅に勝ち越してプレーオフ進出を決めました。
AIR JORDAN XI
ティンカーの最高傑作!?初お披露目から現在までファンを魅了し続けるシリーズ屈指の人気作
ジョーダンが復帰したシーズンの1995年、ブルズは前年と同じくカンファレンスセミファイナルで敗れてしまいます。この結果に加え、以前に比べて精彩を欠いたジョーダンに対し、ファンやメディアからは辛辣なコメントが寄せられることになります。
そんなジョーダンの復帰後初のプレーオフにて初お披露目となったエアジョーダン11(AJ11)にもまた、大きな注目が集まりました。
当時、ナイキとデザイナーのティンカーハットフィールドはジョーダンに対し、試合でAJ11を履くことを禁じていました。生産ラインが整っておらず、消費者向けの製品の発売目途が立っていなかったからです。
にも拘わらず、AJ11のビジュアルとその出来を気に入ったジョーダンは、上記試合にてこれを履いて出場してしまいます。その美しいデザインを見た会場のレポーターが「ジョーダンがパテントレザーをあしらっためっちゃかっこいいシューズに履き替えています!!」と、当時の映像で発言していたことが確認できます。
更に、ジョーダンは1995年のプレーオフでAJ11コンコルドを履くために罰金を払っていました。当時のリーグ規定でチームのメンバーはバッシュの色を白、もしくは黒が60%以上使われたものに統一する必要がありました。ブルズはこのシリーズを黒基調のシューズで戦っていたため、白基調のAJ11コンコルドが規定に引っかかってしまったというわけです。
ドレスシューズとして履けるデザインを
ジョーダンがAJ11のデザイン面に求めたのは試合後そのままパーティーにも履いていけるというもの。オーバーレイに使用されたエナメルはその象徴と言えます。
オリジナルには無かったカラーリングですが、数年前に発売されたキャップアンドガウンと呼ばれるオールブラックのカラーリングはカジュアルな式典に履いても差支えなさそうな仕上がりです。
機能面ではフルレングスエアに足の推進力と安定性をサポートするカーボンファイバープレートをシリーズ初搭載。
翌95-96シーズンもジョーダンはAJ11を着用。ジョーダンはNBAを戦うためのコンディションを整え、前人未踏となるレギュラーシーズン72勝10敗という驚異的な強さでプレーオフ進出。そして復帰後初のリーグ制覇を達成しました。
AIR JORDAN XII
通算5回目の優勝を支えたフルレングスズームエア初搭載のエアジョーダン
復帰後2度目のフルシーズンとなった96-97シーズン、前年よりはレギュラーシーズンの戦績を落としたものの、ジョーダン率いるブルズはリーグ2連覇を達成。ジョーダン通算5度目の優勝となりました。
エアジョーダン12(AJ12)にまつわる有名な逸話と言えばFLU GAMEではないでしょうか。ユタジャズとのファイナルで発生したこの事件については、ラストダンスの劇中でも詳細に語られています。
日本に所縁のある丈夫なエアジョーダン
AJ12には二つのデザインソースが存在します。一つは日本です。アッパーには日章旗を模した放射状のステッチングが施されています。
そしてもう一つが女性向けのドレスシューズです。リザード柄の高級感漂うオーバーレイや、レースホール上部の金属のようなパーツはそのためかと思われます。全面レザーで構成されたアッパーは、前作AJ11に負けじと高級感漂う仕上がりです。
前作同様ソールにはカーボンファイバープレート、クッショニングにはフルレングスズームエアがシリーズ初搭載となりました。
AIR JORDAN XIII
後期スリーピート達成までの道のりを支えた黒豹エアジョーダン
ラストダンスの作中でもっともよく目にするシューズがジョーダンのラストシーズンを支えたこのエアジョーダン13(AJ13)ではないでしょうか。
97-98のNBAシーズンのほとんどの試合でこのシューズを着用し、今日まで語られる2度目のリーグ三連覇を達成します。
前作に比べて柔軟性を高めた設計
ティンカーは、コート上で得点を量産するジョーダンの姿から、獲物を狙うブラックパンサー(黒豹)を連想したそうです。AJ13にはティンカーが感じたそのイメージが落とし込まれています。
前作に引き続きカーボンファイバープレートをソール部分に内蔵。クッショニングはズームエアを使用しながらも、前後分割式に変更し屈曲性を高めています。肉球を模したアウトソールの形状もまた、柔軟性の向上に一役買っています。
前作AJ12と比べて柔軟性や軽量性が改善された構造と言えるのではないでしょうか。
ティンカーがブラックパンサーのアイデアを持って行った際、ジョーダンから「どうしてそのことを知っている?」と聞かれたそうです。というのも、「ブラックパンサー」は彼の旧知の友人のみが知るジョーダンのニックネームだったのです。
ラストダンスを観る限り、ジョーダンは少々気難しい人のように見えます。そんな現役時代のジョーダンと、10年以上に渡り専用シューズのパートナーとして付き添ってきたティンカーとの信頼関係が伺えるようなエピソードですね。
AIR JORDAN XIV
ブルズ王朝を締めくくった最後のエアジョーダン
エアジョーダン14(AJ14)は、ブルズ時代のマイケルジョーダンが着用した最後のバッシュとして知られています。AJ14は、試合においては1998年のNBAファイナル第6戦でのみ本人に着用されています。
この時着用していた黒基調のカラーリングはジョーダンが決めた伝説的なウイニングショットにちなんで、「ラストショット」というニックネームが付けられています。
そのため、オリジナル発売時に存在したカラーリングの中でもラストショットは別格の扱いを受けています。
もしファイナル第5戦でブルズが勝利し、シリーズが終了していたとしたらおそらくAJ14の評価はここまで高くなっていないと言えるのではないでしょうか。その傾向はジョーダン引退後のエアジョーダンシリーズにも表れているように思えます。
ジョーダンの愛車を模したデザイン
AJ14のデザインはジョーダンの愛車の一つでもあったフェラーリ550からインスパイアされていると言われています。イタリアのスーパーカーをモチーフとしたデザインがそこかしこにちりばめられています。
また、「14」にちなみ、左右あわせて合計14個のジャンプマンロゴが刻印されていることでも有名です。
機能面では特別新しいものは搭載されていません。ズームエアは前後分割式。カーボンファイバープレートはTPU製のシャーシーに変更されています。賛否あるようですが、未だにパフォーマンスシューズとして使用する方がいるところを見ると悪くはないようです。
ラストダンスの公開以降、転売市場におけるエアジョーダンの価格が高騰しているようですね。数年前のラストショットの復刻時は東京都内でもセール価格で販売されていたのですが…現在はそうはいかないようです。
番外編:本線だけじゃなかった!チームジョーダンシリーズも履いていたMJ
今では当たり前のように発売されている本線(AJ1~AJ34)以外のジョーダンブランドのシューズたち(例えばジャンプマン2020やジャンプマンダイヤモンドなど)。ブランドとしてナイキから独立したと言われているのは、エアジョーダン12以降のことで、ジョーダンが現役でプレーをしているころはまだ本線以外のモデルは少数でした。
そして我々が知るブルズ時代のマイケルジョーダンは本線のエアジョーダンのみを着用していたと思っていたのですが、ラストダンスではそれ以外のジョーダンブランドのシューズの着用を確認することができます。
まとめ ブルズ時代に本人に着用されたエアジョーダンは不滅
全3回に渡り、MJ本人がラストダンスの作中で着用していたスニーカーについて解説してきました。
スニーカー好きな方のあるあるだとは思うのですが、ジョーダンやコービーが現役時代に履いていたシューズというだけで格段にかっこよく見えるという補正がかかりませんか?
おそらく、もう数シーズンジョーダンが現役でプレーしていて、以降のエアジョーダンを着用していたとしたら、きっとAJ15やAJ16の見え方も変わってきたのではないでしょうか。
今後もエアジョーダンシリーズは毎年最新モデルが発売されていくと思うのですが、ジョーダンと共に戦ったAJ1~AJ14が特別なものとして存在し続ける流れは未来永劫変わらないように思います。
私はラストダンス鑑賞以降、でエアジョーダンシリーズに対する愛着がより深まりました。以前は所持しているエアジョーダンを「手放そうかな…」と思ったこともありましたが、今後そのようなことは一切なくなるでしょう。笑
最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。
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