NIKE DUNKはどうやってストリートに愛されるスニーカーになったのか調べてみた
撮影:筆者
こんにちは。壮年留学生です。
本日は2020年で生誕35年を迎えたナイキのバスケットボールシューズ、ダンクの歴史に迫っていきます。
ダンクと並ぶナイキの名作、エアフォース1の歴史については下記記事からどうぞ。
エアジョーダン1だけじゃない1985年
皆さんは1985年という年号を聞いて連想するものは何でしょうか。
スニーカーから離れてみると、世界で苦しむ人々を救うためのチャリティーソング、「We Are the World」が国境を越えて歌われ、後にスニーカーカルチャーと密接な関係を築くことになる「Back to the Future」の公開年でもあります。
NIKE NEWSの解説によると、1985年は映画、音楽、スポーツ等、あらゆるエンターテインメントが融合し始めた時代としています。そして、ナイキはそれらのカルチャーを繋ぎ合わせる媒介となっていました。
1985年と聞いたスニーカーファンの多くは「AIR JORDANⅠ(エアジョーダン1)の誕生年」と回答するのではないでしょうか。ナイキとマイケルジョーダンの契約とエアジョーダンの誕生がなければ、ナイキはおろか、現在のスニーカーカルチャーも全く違うものになっていたように思われます。
そんなナイキの歴史上、非常に重要な年に生まれたバスケットボールシューズがダンクでした。当時珍しかった大胆なカラーブロッキングのこのシューズもまた、エアジョーダン1とは違う方法であらゆるカルチャーに浸透していくことになります。
80年代に発売された複数のバスケットボールシューズのデザインを融合
そのデザインがエアジョーダン1に似ていることが話題になりがちなダンクですが、それ以外にも80年に発売されたいくつかのバッシュのデザインが踏襲されています。
アウトソールはエアジョーダン1のパターンを。アッパーはエアジョーダン1とターミネーターを参考にしています。ラスト(木型)はレジェンドというバスケットボールシューズのものを使用しています。
既にあるシューズのデザインを流用する手法は当時としては一般的だったそうです。担当デザイナーはピーター・ムーアです。
カレッジバスケットボールファン心理を掴んだタグライン
世界最高のバスケットボールリーグとして知られるNBAですが、アメリカではカレッジバスケットボールリーグのNCAAも非常に多くのファンを抱えていることで知られています。アメリカに住んでいた友人に話を聞いたところ、地域によってはNBA以上の人気があり、熱狂的なファンを抱えているそうです。
現在同様、1980年代においてもNCAAの人気は非常に高く、試合の様子が全国放送されていました。ライバル関係にあった東西の大学の試合ともなれば、選手のみならず、それを応援するサポーターも自ずとヒートアップしたとのこと。
そんなNCAAの選手とそのファンに向け、ナイキはThe Nike College Colors programと呼ばれるプロモーションをスタートします。
その一環でリリースされたビジュアルには、強豪大学のチームカラーで鮮やかに彩られた八足のシューズと共に「BE TRUE TO YOUR SCHOOL. (母校に忠実であれ)」という言葉が添えられていました(下記画像参照)。
スニーカーに加え、チームカラーを纏ったウェア、バッグを取りそろえることでカレッジバスケットボールファンの心を掴むことに成功します。彼らは、選手でなければ手にすることができなかったチームカラーのグッズでコーディネートすることをナイキによって許可されたのです。
現在のように、スポーツ用品メーカーがファッションブランドとしても認知され始めるきっかけとなった取り組みの一つと言えるのではないでしょうか。
コートからストリートへ
バスケットボールプレーヤー向けのシューズとして誕生したダンクでしたが、設計段階では全く予想をしなかったであろうスケートボーダーに好んで着用されるようになります。
彼らはダンクのフラットでグリップ力の高いアウトソールの他、横方向の動きに対するサポート性や耐久性に目をつけました。
80年代のこのムーブメントを受け、1998年~2000年に復刻発売されたダンクではスケーター向けにタンの材質を変更したとの記述がありましたが、具体的にどう違うのかはわかりませんでした。
1998年の初の復刻発売と同時に、それまでオリジナルのデッドストックや中古を探し回っていた人々が一斉に復刻版ダンクに飛びつき、瞬く間に入手困難になったそうです。以降、ダンクはストリートシーンにおける存在感を更に高めていきます。
2002年にはナイキのスケートボードラインであるNIKE SBからダンクSBと呼ばれるモデルが登場。分厚いタンに加え、ヒールにはズームエアを搭載し、スケシューとしての機能の向上が図られました。
当時、ダンクSBの国内正規販売店舗はかなり絞り込まれていました。また、コレクターやストリートファッション愛好家の中で爆発的な人気となっていたため、定価での入手は非常に困難だったと記憶しています。
ダンクSBは間違いなく2000年代のスニーカーカルチャーを代表するシリーズだったと言えます。
最盛期には次から次へと新作が発売され、そのすべてが即完売。そしてその一部は高額なプレ値を付けて、転売市場へと流れていきます。当時の情報源であるファッション誌にはジョーダンや他のブランドを差し置いて、これでもかとダンクSBの情報が掲載されていました。(なつかしい時代ですね…)
スケートボードとの交わりをきっかけに、競技用バスケットボールシューズとして誕生したダンクは、以降も様々なブランドとのコラボや企画によってストリートで愛されるスニーカーへと姿を変えていきました。
まとめ AIR FORCE 1とは異なるナイキバスケットボール黎明期の傑作
エアフォース1と同じく、初期のナイキバスケットボールを語る上で外すことのできないモデルではありますが、ダンクには枯渇感の演出による特別なブランド力があるように感じられます。
私が思うに、エアフォース1のいいところはいつでも買えるということだと考えています。もちろんシーズンカラーや入手が難しい限定カラーもありますが、オールホワイトなどのベーシックなカラーリングについては年中生産され、いつでも手に入れることができます。
一方、ダンクについては店頭で見つけることが難しく、周年の年を除くと積極的な生産は行われていません。
そして「Be true・・・」のフレーズと共に語られる鮮やかなオリジナルのカラーリングもまた、ダンクの魅力を高めているように思います。現在でもカレッジのチームカラーは纏ったダンクはスニーカーヘッズにとって特別な存在であり、転売市場でも定価を大幅に上回る価格をキープしています。
他にもダンクにまつわるエピソードは山ほどあるのですが、あまりにも膨大なので今回の記事はこのあたりで終わらせていただこうと思います。
最後に、私が大学生の頃に購入したダンクを紹介させてください。
こちらは2007年に発売された、新品でありながら1985年発売のデッドストックの如く黄ばみやほつれといったヴィンテージ加工が施されたものです。後に同じ加工が施されたローカットも発売されています。
アトモスのWeb通販サイトにて初回入荷でケンタッキーのカラーを、リストックの際にUNLVを入手しました。本当はヴィンテージ加工でないものが欲しかったのですが、中学生の頃から恋焦がれていたオリジナルカラーの復刻ということで色違いで購入してしまいました。
アメリカではフレッシュなビジュアルを手に入れるために購入後にヴィンテージ加工を剥がす猛者もいたそうです。
最後までお読みいただいた皆様、ありがとうございました。
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